こころ・メンタルケア

「選ばれる女性」を目指してうつになった私が考えたこと

転職後1年で、会社での人間関係に悩みうつ病と診断された。
休職した後、病院の先生はこう言った。
「通常であれば、その環境から離れれば症状は安定するのだけれど、あなたの場合は違うみたい」

おっしゃる通りでした、先生。
だって、私は会社だけではなくプライベートでも問題を抱えていたから。

私は結婚したかった

私は小さな時、とても幸せだった。
ところが小学生の時に両親が離婚し、家庭の崩壊と共に私の心も壊れた時代があった。
自分なりに修復したつもりの歪な心を自ら愛することができず、そのまま誤魔化して生きてきてしまった。

そんな私は心の安全基地になる家族が欲しかった。
日頃感じる不条理や違和感を吐き出したらそれだけで弾き出されてしまいそうなこの社会の中で、一緒に生きてくれるパートナーが待っている、安心して帰れる決して壊れることのない場所が欲しかった。
私にとってはそれは結婚だった。

結婚できる女性の条件

普段私達は求めずとも、多くの情報を浴びている。
その中には、多様化した現代の自由な選択的結婚観がポジティブに描かれている情報もあれば、選択肢が広がり「結婚への意欲が薄れた人たちが増えた」とも言い換えられそうな中で、結婚希望者が望みを叶えるためのハウツー情報も多く見られるようになった気がする。
おかげで「あなたが結婚できる確率診断」みたいな類の広告にはすぐ引っかかるし、年齢別の結婚できる確率データなんていう記事などにも目がいってしまう。
世の中では「結婚する価値があるかどうか」の判断に至るため、男女問わず絶えず値踏みをしているように見えた。
その値踏み構図のど真ん中に自ら立ってみた取り柄も自信も全くない私は、恐ろしく不安になった。
結婚を望む者同士の競争に勝つためには、「結婚をする価値があるか」の判断基準を上回るために、自分に価値があると思わせなければならない。当然参考にするのは結婚を実現するためのハウツー情報だった。

私が世の中に転がっている情報から得た「結婚できる女性像」はこんな女性だ。

・結婚後も働いてくれる女性
・経済的に支えてくれる、または安定している女性
・精神が安定している女性
・いつも笑顔で支えてくれるポジティブな女性
・自由にさせてくれる束縛しない女性
・子供好きな女性
・料理ができる胃袋を鷲掴みにできる女性
・見た目も女らしさも損なわない意識の高い女性
・プラスアルファの細やかな気遣いができる女性

…。
ため息と共に生気までこぼれていきそうだ。
すっぴんでいる時間はなるべく短く、化粧品で毛穴を埋め尽くし十分な肌呼吸もさせないでおいて、すっぴんになれば素肌まで綺麗でいなさいと?
落ち込んだ時の弱音も産毛も鼻毛もだめ?
自分が裏切りだと感じることも、「選んでもらえる」なら笑顔で受け入れなきゃいけないの?

そういえば、モテる女性の条件とかいったようなハウツー情報には、
「スキがある女性」とか「弱い部分が垣間見える女性」などとあったような?
モテには有効なか弱さも、結婚には無力なのか?

「そのままの私じゃダメなの?」

いけない。話がだいぶ逸れてしまった…

 

私が思っていた「選ばれる自分の価値」

派遣から正社員として働くチャンスをもらえた時、心から感謝したことは確かだったしやる気に満ちていた。
「正社員」という響きが、社会的地位が少しだけアップしたような気持ちにさせた。
ただ、いざ働いてみると、派遣の時の方がよっぽど意見を尊重してもらえていた気がするし、人によってころころ変わる判断基準に従ううちに、「意思」や「考える力」を見失っていく自分を感じていた。おまけに頂戴した私自身を否定するような言葉を間に受け落ち込む日々。数ヶ月で雇用継続をジャッジをされるシビアな環境であったとしても、派遣時代にお世話になった会社や環境のありがたさを痛感していた。

そんな時、私が自分を保つために考えていたのは「選ばれる自分の価値」だった。福利厚生はしっかりしているし育休も取りやすいと聞く。この環境に適応さえできれば私にも少しは価値がある。精神的に健やかな状態であるかということよりも、いつ訪れるかもわからない時を夢見て、心がNOと言っていることを頭でYESと言い続けた。

うつ病と診断され会社を休んだ後、回復すると思われたうつ症状は悪化した。
冒頭の病院の先生による言葉は、この時に発せられたものだった。

「結婚も出産もできず、経済的生産活動もできなくて…私、生きてる価値ありますか…?」

自らの価値を疑い生きる意味を問い続け、答えを見出すことができなかった。

 

そのままの自分を愛し信じて欲しい

ある時ふと自分の中で変化が生じた。

「私が見出した選ばれる女性は自分の思考が作り出した幻想虚像にすぎなかった」
「自分でない人間になってまで選ばれる必要はない。」
「オリジナルな自分を愛し心健やかに在ること。心の安全基地は自分の内側に築くもの」
「私自身の選択や責任で生きてこそ人生。」

変化の理由はうまく説明ができない。
何もできない自分にも慣れ、本もたくさん読んだし勉強もした。
結局のところ実体がわからない何かの競争から外れたからなのか、今まで見えていなかったものが見えてきて、価値観が大きく再構築されているところだ。ただこの変化には、姉の言葉と、派遣時代にお世話になった女性の上司がくれた言葉が大きく影響しているように思う。
姉は「大丈夫。あんたはそのままでいいんだよ。結婚できなくったって私たちがいるよ。」と言ってくれ、お世話になった女性の上司は「ポキッて折れちゃうから、人間ポンコツくらいがちょうどいい。」と諭してくれた。彼女たちの言葉が光になって、暗いトンネルを抜けられたような気がする。複雑に絡まった糸がスルスルと解けていくような感覚だった。

そうか、私、私でいいんだ。
そういえば、これまでの人生、ポンコツなりに幸せ感じて生きてきたんだった。

私は「こうあるべき像」たる幻想で自分を縛りつけて不幸にしていたようだ。
今思えば、自分ではない誰かになって他者に自分の人生や心の安全を委ねるなんてどうかしている。何より「選ばれる」という受動的な状態で他者の選択に依存する限り、今度はそれを失う不安がつきまとい苦しさは続くだろう。著しい変化に混乱するのはじつのところ自分ではなく周囲だ。そんな周囲に揺らがされない心の安全基地を自分の内側に築けばいい。何度でも、どんなふうにでも、自分を信じて好きに再構築すればいいし、そんな変化していく自分を楽しんだ方が人生有意義そうだ。
それに「なんのために生きるのか」という、いつまでも答えがでない問いで自分を縛って生きるのもやめることにした。そんなことよりも、心を解放し面白がってみた方が、死ぬ時正解だと思えそうな気がする。
自分の心を自由にしてあげられるのも、幸せにしてあげられるのも、自分なんだと思う。
とりあえずそう生きてみようと思う。

このブログを読んでくれた方の中に、私と似たような境遇の人はいるだろうか。もしいたら、私が救われた言葉をかけたいと思う。

そしてあともう一つ。

そのままのあなたが、最高です。

0になった私は今、何にでもなれるような無限の可能性を感じています。
自分を解放して、純粋に好きなことややりたいことを考えて、希望を感じて生きています。
改めて、いつか一緒に生きられるパートナーにも出会えるのを楽しみに。

 

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